キャンパスアンバサダー プログラム始動

本日はこのインターンシッププログラムで学生さんたちと
交流してきました。
http://teachforjapan.org/news/2017/08/10/4313
自分は学生さんたちのメンターという役割です。

思ってもみない方向からの発想・企画はさすがだなと思います。
いろんなアイディアを出すためにやっぱり多様性は必要なんだなと
感じました。

企画を練る段に当たっては、深く深く考えることが重要。
なんで?それで?それってどういう意味??
こんな質問を繰り返す。

表面的に取り繕うのではなく、自分の言葉で論理的に説明できるように、
苦しみながら考えることができるか。
企画の真髄が問われるのはこの部分ではないかと思う。

自分の意見を主張しながらも、
チームメンバーの意見を尊重し、まとめていく。
ここも難しいポイント。

メンターである自分に問われたのは、
答え(なるもの)を与えず、考える機会を与え、企画を進展させていけるかどうか。

難しいなと思っても否定ばかりせず、チームらしさをどのように
発揮していくか。

大げさに言えば育成力みたいなものを磨かせてくれる場所となりました。

「柔軟な働き方」を目指す理由とは

今やどこの会社でもかまびすしい「働き方改革」。

その改革を進める中で必ずと言っていいほど登場するのが、
「柔軟な働き方をめざす」などという言葉ですね。
この「柔軟な働き方」って何なのか。
なんでこれが必要なのか。

説明抜きに使われる用語にこそ、立ち止まらなければならんのです。

柔軟な働き方を言い換えると、いろいろな働き方、多様な働き方となる。
つまり、会社からの強制を少なくするということでもある。
サイボウズ 青野社長の言葉より
働き方改革は「楽しければ成功、楽しくなければ失敗」|サイボウズ
それによって一人ひとりの要望に沿った働き方を実現しようとすることになる。
そうすると、家で働きたいなと思っている人や、早く帰りたいなと思っている人を尊重する、そんな働き方を認めることになる。

さて、そもそも「働き方改革」が何を目指すのかということなのですが、
つまるところ、この二つではないかと思っている。
1、一人ひとりのパフォーマンスを高める
2、会社全体のパフォーマンスを高める

柔軟な働き方を目指すことが、一人ひとりの働き方の要望を受け入れていく、認めていくことだとしたら、それは前提に、
「一人ひとりの要望を受け入れると、それぞれのパフォーマンスを高めることになる」ことが前提になっているのだな。

そうでなければ単に、従業員に優しくしている会社、で終わってしまう。

だから結局、柔軟な働き方をする代わりに、パフォーマンスを出してねということを同時に伝えなければならないのではないか。

そして、上記の1と2、同時に達成できるようで、
そうではない可能性もある。

在宅勤務を実践したおかげで自分の作業の生産性が高まるかもしれないけれども、結局組織としては、コミュニケーション不足、連携不足で他者の負担が大きくなってしまった・・・。
という状況だって十分ありうるんですね。

働き方改革」が1と2を満たすかどうか、きちんと検証しながら進めていかねばと思います。

NHKスペシャル「亜由未が教えてくれたこと 〜障害者の妹を撮る〜」

一度はEテレで放送されていたが、見逃してしまったので、NHKオンデマンドで観た。
そしてNHKスペシャルでも放映されていたのがこの番組。

「亜由未が教えてくれたこと
〜障害者の妹を撮る〜」
NHKスペシャル | 亜由未が教えてくれたこと~障害者の妹を撮る~

お父さんも、お母さんも、お兄ちゃんも、双子の妹も
日常の風景の、リアルな言葉・表情が映しだされていた。

自分の亡き後を本気で考えて行動に移しているお母さん、
自分の人生と姉の人生とのはざまで葛藤している妹、
笑顔の絶えない日常とともに、苦悩があるのは事実。

特に心を動かされたのは、最後のほうにあったお父さんの言葉。原文ではないけれど
このような内容だった。
「映画を観たい、旅行に行きたいというのがないかというとウソになる。
でも当たり前のようにそこにいてくれることの喜び、それが毎日の幸せ。
そんな気づきがあったのは障害児を子どもに持ったから・・・」

幸せそうな亜由未さんとの写真を見ると、偽りのない言葉なんだなと感じて涙が出た。

何ができるとか、できないとか、ではない。
そこにいてくれることが幸せ。親心はみなそのようなものなのだ。

新聞記者時代に、難病の家族を取材したときにも同じ言葉を聞いた。
「生きていてくれることがうれしい」と。
それが人間の尊厳というものだろう。

そしてもう一つ大切なこと。
人間の幸せとはだれにも邪魔されないもの。
比べられないもの。
自分だけが決めるもの。

苦しみも悲しみもあるけれども、その大きさと幸せの大きさは比べられない。

「縮小ニッポン」と「がん」

今日は、考えさせられる、そしてもっと考えて行動していかなければならない番組を二つ見た。
一つは生放送で
・がんと共に歩むために 麻央さんブログから考える
http://www.nhk.or.jp/fukayomi/maru/2016/161001.html

ゲストの方が、がん=忌み嫌うもの、死 というイメージがあると言っていた。
健康志向が高まるいまだからこそ、がん患者の方を避けようとしてしまうのだろう。
がんってどんな病気なのか、きっと昔から実態は大きく変わっているのにイメージは変わっていない。メディアはいまの実態を伝える、私たちは正しい情報を知ろうとする努力が必要。
ただ、多様性をなかなか受け入れられないという日本人のあり方も関係しているように感じた。
障害や貧困の問題も同じような原因が横たわっているような気がした。

もう一つは録画で
・縮小ニッポンの衝撃
NHKドキュメンタリー - NHKスペシャル「縮小ニッポンの衝撃」
人口が減少しても急に行政サービスが停止するわけではない。減少する中でも、税収が減る中でもなんとか行政を続けていかなければならない。そのためにはある程度効率化・合理化が必要だろう。
夕張市団地の問題を見ながら、もっと一時的なコストをかけてでも住民を一か所に集約すればいいのにと、私なんか外の人間は思ってしまう。
住民の権利・自由と、自治体の未来と。天秤にかけられない問題ばかりで「悩みは次から次へと浮かんでくる」と夕張市長。

誰が得をするのか

甘利氏の金銭授受問題。文春以外に誰が得をするのだろうと思っていたらこんな記事があった。
一色氏が甘利事務所を実名告発した理由を推測してみる

告発した理由は、筆者の推測だということだが一理ありそうな模様。

しかし何度も何度も何度も「政治とカネ」で政治家が血祭りにされ、政権運営にダメージがあり、国民はまたか、と思ってうんざりし、政治不信が強まる。

政治家は対岸の火事と思っているのだろうか。
明日は我が身と思って身辺を調べればいいのに。と思うのだけど、結局調べた時には出てこないのか?調べ方があまいのか、それとも誰もがやましいことはあって、隠し通すのは不可能なのか。

社会の裏の組織と関係を持たなければ、国政の政治家にはなれないのか。
そんな世の中なのか。

【料理】メレンゲ

先週のクッキーに引き続き、りんごのパウンドケーキを作った。

きっかけは長男が保育園でクッキーづくり体験をした、ということから。
正しくはクッキーの型抜き、のみ。

その週末に息子の仲良しの友達をご招待してクッキーをつくることにした。
クッキーをつくった記憶はほとんどないし、めん棒もなかったのだけれど思い付きで発案。
結果、お友達のお母さんの道具と経験値で無事に仕上げることができた。

その経験で味をしめて、というほどではないけれど、今日はずっと前から作りたいと思っていたパウンドケーキに挑戦することにした。
りんごと無塩バターとベーキングパウダーが余っており、料理レシピの本の最後においしそうなケーキが並んでいたから。
焼き時間は想定以上にかかったけれど、まずまずの出来に仕上がった。よかったよかった。

しかし、ハンドミキサーがなかったのでメレンゲづくりに苦戦・・・。
どれだけ時間をかければできあがるのか、砂糖を早めに入れすぎたからもうできないんじゃないか、メレンゲの良しあしがどれほどケーキの出来栄えに左右するのか、などなどわからないままひたすらシャカシャカし続けた。10キロの次男を背負いながら。明日は筋肉痛に違いない。

どころで、最初にメレンゲを考案した人は、なぜ卵白だけを混ぜてみようと思いついたのだろうか。昔はもちろんハンドミキサーなんてないわけで、ただのドロッとした透明の液体があんなふうにきめ細やかな泡になるなんてなぜわかった?いやそんなことはわからないはず。わからないのになぜ混ぜ続けたのか。

先人の知恵ってすごい。料理はそんな知恵がたくさんつまってできている。

【本】ボッコちゃん

ずっと読みたいと思っていた星新一の本をようやく手に取ってみた。

シャープな風刺、皮肉が効いている。人間が幸せになろうと求めてきたものが結局は人間を滅ぼす、というような話もある。
なんとなく手塚治虫の作品も思い出した。
科学とは人間的なものから離れていくようで、離れられない。そんな気がした。
人間の利己的な欲求のままに操ろうとすると、災難が我が身に降りかかってくる。