相模原障害者殺傷事件で考える。生きる価値とは

きっとこの事件について、表立って被告に賛成する人なんていない。

被告のしたことは断じて許されないと言うだろう。

障害者の人たちも生きる権利がある、どんな命も平等だと。

 

実家に帰省して、90歳以上になって子どもに世話になりながら生きながらえている祖母を見て、こう思うことがある。自分はずっと役に立つ存在でありたいと。

これは、暗に優性思想に立っているんじゃないかと気づく。

役に立つ存在 > 役に立たない存在。

 

本当にどんな命も、平等に、ただただ生きる権利があると言えるのか。

同じ尊厳を持っていると言えるのか。

意識としては言いたい。でも心の底には、隠したいけれどそれに反するような気持ちが渦巻いている。

 

どんな子も、どんな人間も生きる価値がある、本心から言えるように考えたい。